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東京高等裁判所 昭和24年(ラ)31号 決定

抗告人 込谷安之助 込谷よね

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告理由の要旨は、

一、抗告人安之助及び妻よねは昭和二十二年三月、安之助の父込谷卯之助の内縁の妻野口タマの養子となることを承諾し、その縁組届に必要な野口タマの戸籍謄本を、その本籍地である横浜市の中区役所に請求したところ、本籍見当らずとの事由で謄本を得られず、その後本籍調査中に、同人は遂に同年十月八日病死したが、病中養子縁組届のできなかつたことを憂慮して、自分に万一のことがあつたならば子がないから、野口の家は絶えるので、どうか安之助夫婦で野口の家名を継ぎ同家を再興されたいとの言を遺した、そのことは父卯之助も抗告人夫婦も承知しているので必ず野口の家は相続するから安心するようにと堅く約束したものである。二、右のように抗告人等が野口タマの養子になることを承諾したわけは、大正八年野口タマは前記卯之助の内縁の妻となつたところ、当時安之助は僅か七才で、正治郎なる兄と二人の母のない兄弟はタマから愍まれ実子のように慈愛をこめて養育されてきたのであるが、タマはその父新七郎既に死亡した戸主であつたため、卯之助と正式に婚姻することが出来ないで内縁の妻として同棲していたけれども、両人の間に子がなかつたので、將来は抗告人安之助を養子として野口家を相続させたいとの希望を夫卯之助に哀願したので、卯之助も同情してその乞を入れ、抗告人も幼年の頃よりそれを承諾していた。そこで前記のように昭和二十二年三月安之助は妻の抗告人よねに右事情を打明け相談したところ、よねも快く承諾したので、正式に養子縁組の届出を為さんとしたが、タマの本籍不明のためその届出ができないうちに、前示の如くタマが死亡した次第である。三、抗告人等はタマの絶大の恩義に肝銘しているので、タマとの堅い約束を実行したく思うのであるが、現在では養子縁組は勿論、野口家の選定家督相続も不可能となつたからせめて抗告人等の「込谷」という氏を「野口」と改め野口の氏を相続してタマの霊を慰め、又野口家先祖代々の位牌を守りその冥福を祈りたいと思う、これには父卯之助も熱心に賛同しているが何分本年七十一歳の高齢で余生もすくなく、万一の場合を慮り生存中に愛妻タマとの約束を果して安堵の上、やがて亡妻の跡を追いたいと日常申している位で、抗告人等は孝養の一端としても右父卯之助の希望も叶え、同時に亡タマへの報恩も致したいのである。四、昭和二十二年十月八日タマ死亡につき、本籍を横浜市岡野町二百九十番地戸主野口長七長女として、死亡届を木更津市役所に提出したところタマの本籍不明の事由により該届が返送せられ、且大正十二年の震災で戸籍簿が燒失したままであると思われるから、その戸籍再製申告を横浜市中区役所に提出せられたいとのことであつたので、昭和二十三年二月その戸籍再製の申告を為し、同年五月六日附野口新七郎及びタマの戸籍が再製せられた。五、以上のような次第で、抗告人等は野口タマと事実上養親子関係を結び同棲して居りながら正式の縁組届が出来なかつたのみならず、無学なる一介の鳶職人夫婦で何等法規的知識なく、法律が現在のように家督相続もできぬように改まることなどの見透しは、相当学識ある者にさえ困難であつた程で、また震災で燒失した戸籍の再製の申告手続あることなども到底思い及ばなかつたところであるから、右等の事情を諒察詮議せられ本申請許可の審判を与えられたい」と謂うに在る。

よつて審究するに、現民法親族編に於ては旧法と異り、家の制度を廃したけれども、旧法下に於ける家の名称であつた氏は、依然血族姻族のつながりを示し、且名と相俟ち個人を識別するものとして、わが国民の社会生活上極めて重要なものであることには変りなく、これを当事者の意思で変更しようとするときは戸籍法第百七條により、実質的要件として「やむを得ない事由による」ものであることを要し、名を変更しようとするときの要件たる「正当なる事由による」ときに比し、これをきびしくしていることからみても、氏の変更は客観的に眞にやむを得ないと認められる場合でなければ、許されないものと解すべきである。本件申請についてこれをみるに、抗告人込谷安之助審問の結果によれば、抗告人等がその氏を現在の「込谷」から「野口」に変更したいという抗告理由で述べているような事情の存することは、一応認められその事情には気の毒に思われる節がないでもないが、抗告理由に述べてあるところは、それ自体結局前示戸籍法第百七條にいう氏の変更をしようとする「やむを得ない事由」には該当しないものと謂わざるを得ない。然らば本件申請を却下した原審判は相当であつて、本件抗告はその理由がないからこれを棄却すべきものとし、家事審判法第七條非訟事件手続法第二十五條民事訴訟法第四百十四條、第三百八十四條を適用して主文の如く決定する。

(裁判長判事 玉井忠一郎 判事 斎藤直一 判事 山口嘉夫)

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